首里城(すいぐすく)は、考古学、文献史学等の成果によれば、少なくとも13世紀中には首里の地に何らかの形で登場し、15世紀までには政治的な機能を果たすようになったと考えられる。 そして沖縄島の勢力が統一された15世紀以降は「琉球王国の王城」としての役割を450年に渡り担い続けることとなる。19世紀後半の王国の消滅と共に王城としての役割を終えるが、その後も特別な空間という意識は続き、軍隊が、学校が留まる歴史が繰り返された。
そして戦前と戦後の2度の復元後は、観光地としても大きな役割を果たしていた。1992年の復元時には「戦後復興の象徴」という意味付けも加えられることとなる。
こうした長い歴史と多面的な性格を持つ首里城は、時代によってその姿を変えてきたこともまた知られている。2019年10月の火災以降、首里城とは何だったのか、その実像について、再び広く興味関心が集まり始めた。
本展示は、これまでになされた様々な研究蓄積を総合し、特に首里城正殿の屋根(むんだすいぬやーぬ)に焦点を当てて、その実像を時系列に沿って追究する。また壁の色調や龍柱をはじめ、議論の的となってきた事柄を含めた建物全体の姿についても、史資料を踏まえて検証し思い切った復元を試みる。
本展示は、首里城を巡るイメージを少なからず動揺させることになるかも知れない。今後の議論の一助となれば幸いである。
石井龍太(城西大学経営学部准教授)
「むんだすいぬやーぬ首里城正殿の屋根」図録データはこちら。